2006年7月2日(日)
氷河期の象の化石
「古きをたずねて」・・6.因島史料館
 千石船機帆船 造船で繁栄築く
  村上水軍の航海技術を活かして
ナウマン象の化石
船の絵図と模型
 水軍城と村上水軍の菩提寺、金蓮寺に挟まれた
「因島資料館」には江戸時代の経済を支えた瀬戸
内で発達した千石船の名で親しまれた弁才船、日
本の工業化に貢献した機帆船、家族ぐるみで海で
生活していた家船に関する品々を展示、さしずめ
海の民俗資料館と言ってよいだろう。
 古代から因島の歴史を振り返ってみると特筆す
べきは土生沖の海底から約1万年前のナウマン象
の骨の化石=写真上=など動物の化石が数多く引
き上げられた。氷河期で日本列島が大陸とつなが
り、中国地方と四国地方が陸続きであったことを
示している。
 南隣の弓削島で2万年前の旧石器時代、獲物を
もとめ使われていた打製石器が出土しており、陸
続きの因島にも足を伸ばした可能性もあり、この
頃、人が住みはじめたと見られている。縄文時代
には大浜遺跡から呪術信仰に用いた土面、製塩土
器、弓矢や磨製石斧と狩猟や漁労に従事していた
ことが伺える。
 弥生時代に入ると三庄町沖田から高杯形土器や
漁網の重りに使っていた石錘が出て農漁業を営ん
でいたことが分かる。
 因島の名前が出てくるのは平安時代で権現廃寺
の文献から「隠島」の名が確認され、当時は因島
ではなく隠島と記述されていた。
 室町時代に伊予から北上した村上一族が因島に
本拠を置き、付近の海上権を手中におさめた。島
内の要所、中庄から田熊にまたがる青陰城、土生
の長崎城、重井の青木城と村上水軍の城跡が残っ
ている。村上水軍の資料は史料館上の因島水軍城
に展示されている。
 江戸時代、瀬戸内海で発達し大阪、江戸を中心
に日本の経済を支えてきた千石船(弁才船)は今日
では一隻も残ってない。展示されている資料によ
り、ありし日の千石船の繁栄をしのんでいる。
 年貢米を江戸に輸送する千石船の船尾に取り付
けた「日の丸船印」、大阪〜岩国の航路図屏風、
船算盤、廻船提灯、庄屋宮地家回船文書、営業許
可書にあたる船鑑札や板子一枚、下は地獄で魔除
けの刻の子神のほか千石船で賑わう港風景の絵巻
や絵図=写真中=が展示されている。
 明治以降、日本の工業化に大きな役割をはたし
た補助機関帆船、いわゆる「機帆船」など木造船
は因島で数多く作られた。しかし鉄鋼船の進出で
機帆船を建造できる人は貴重な存在となった。そ
の一人、長年機帆船の建造に携わってきた中庄町
出身で岩城村の柏原晋一さんが数年かけて精巧な
機帆船の模型=写真下=を作り、展示している。
後世にその技術を残していくため設計書通り忠実
に再現している。
 尾道の吉和漁民と同じく小さな漁船で家族が生
活しながら漁をする家船は西は五島列島、東は伊
勢まで出漁していた。家船で使っていた竃、箱膳、
船枕、船徳利や水瓶と生活用品が出品されている。
 海とともに生きてきた因島は村上水軍の航海技
術を造船技術に生かし千石船、機帆船をうみ繁栄、
現代の日立造船へとつながっている。
 [因島史料剖因島中庄町3222−2.毎週木
曜日が休館。開館時間は午前9時半から午後5時。
入館料は15才以上100円、15才未満50円。団体
30人以上大人60円、子ども30円。電話は0845
・24・0887。

場所>



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